One More Belief

 本当の敵が 何者であるかを 覚えておこう

World Politics         Supremacy Strategy 1 日本人の現在

 

 

 

One Belief

 

 

 昨今の25年に及ぶ日本の経済と社会の停滞は、冷戦後の唯一の世界覇権国である米国を起点としたグローバリズムとIT革命の進展、そしてこのグローバリズムに対する人口13億人を有する中国の大々的な外資開放による世界の経済構造の激的変化が大きく起因した。この間の日本のデフレ経済は、戦後日本の産業と経済モデルのグローバリズムに対する全般的な敗北の結果である。この間の政治と官僚のリーダーシップの欠如と失敗は散々たるものだったが、これも戦後政治の政策モデルの限界の帰結だった。今日本には、GDPのスケールが米国との差が急拡大し、また中国に追い抜かれその差が急拡大している現実がある。そして人口減少も目の前にある。敗北感、喪失感が巣くうのも無理はない。また大国として抬頭した中国は、この25年間に政治的、軍事的挑戦をエスカレートして現在に至っている。戦後世代の日本人は、初めて戦争の危機を目の当たりにし、戦後70余年が如何に特殊な時代だったかと覚り始めている。この敗北感と危機感を越えて、強者に対する恐怖感が、現代日本人の大方の心底になびいている。

 

 この冷戦後の四半世紀は、また正に米中の政治と経済同盟の深化拡大の時代だった。元とドルのペッグ制という為替の管理相場制が同盟の所以であり、金融等の異質な経済システムは其の儘に、中国の外資導入と市場開放は愛おしく迎え入れられた。この一種の固定相場制が同盟の本質であり、元は常にドルであった。改革開放の揺籃期から天安門事件を乗り越え、ソ連崩壊を尻目に、膨大なグローバル・キャピタルの投資を吸引し、異様な成長をとげた。冷戦後のグローバリズムの、EUと並ぶ、最大の成果であり標本である。既に中国の成長モデルは潰えているが、中国共産党のキャピタリズムは早々、覇権を賭けるに至っている。

 

 方や韓国は、冷戦後のアジア通貨危機により一度は国家破産したが、IMFの管理下による経済改造により、整理され生き残された財閥がグローバル・キャピタルの傘下に入るなり、その総合戦略で事業の再生を図り、グローバリズムの優等生として抬頭、サムスン、ヒュンダイといった国際企業を現出させている。今様々な矛盾を遺したままだが、グローバル・キャピタルと共謀し、財閥企業は、再び凄まじい選択と集中を図り生き残ろうとしている。今や侮れない。

 

 そして日本は、冷戦末期一人当たりGDPが米国を抜くといわれ、巨大な経済大国として頭角を現したが、日本バブル崩壊後のデフレ経済とグローバリズムに対し武装解除した25年間は、一部自動車産業を除き、広汎な先端分野で国際競争力が削ぎ落とされ、円建てGDPが全く成長しないという異常な時代を続けている。構造改革と25年間も謳われて来たが総てが潰え、今漸くアベノミクスによって初めて主導的な変化が始まっている。蔓延する無力感、虚脱感、焦燥感を克服し、国民と産業と国家を、再び偉大な目標と戦略に統合すべき最後の時が来ている。政治のリーダーシップと国民の意識の覚醒次第である。

 

 四半世紀は一つの時代の終焉である。今既にポスト・グローバリズムである。世界は確かに様相を変え始めている。日本の再統合のための状況は熟して来ている。しかし限界を露呈した日本経済は、経済政策だけでは変わらない。経済は政治、国家構造と一体である。国の形を変えるという全体戦略と世界戦略の中で経済は変わり得るのだ。日本は、先の大戦敗北により政治主権を喪失した儘、70余年もの年月を受容してきた。一度たりとも、この政治主権の喪失を執拗に問い質したことはない。様々な日本の限界がここに起因しているという自覚は更々無いようだ。この点に立って、日本と日本人の現在を考えるために敗戦という過去に戻ろう。

 

 戦後のこの国の形を一言で言うなら、其れは日本国憲法と日米安保条約である。ポツダム宣言受諾は日本軍の無条件降伏であり、日本国の無条件降伏ではなかった。しかし進駐した占領軍は降伏文書を根拠に、GHQの指揮下、日本国の統治を完全に奪取し、日本国の改造に着手した。かつての大日本帝国は、第一次大戦後のソ連の出現、大恐慌、ナチス・ドイツの抬頭等、世界の激変に飲み込まれ、1930年代から国家の自己改造を徐々に進め、対米英戦に至るまでには、軍を政権中軸に添え、日本の独特な挙国体制の中、政府、財閥、軍による国家独占資本の計画経済体制へと、明治維新の可能性を、何時の間にか、ある最終形へと改造していた。明治維新と大日本帝国憲法の模範は潰えていたのである。日本を含め当時の総ての列強は軍産複合体であり、其々は独裁体制の過度と計画経済の深度の差違に過ぎなかった。この列強の覇権の対抗軸の清算が第二次世界大戦であり、日本は稚拙な国策を選択し敗者をなったが、維新後に僅か75年足らずに伸長した日本の産軍複合体の巨大化は米欧列強には頗る脅威であった。特に強軍の大日本帝国の解体が、このGHQの日本改造の唯一のテーマだった。

 

 二度と軍事大国の再興を許さない。日本改造の最初の一撃が日本国憲法である。9条の戦争放棄、国の安全保障を諸国民の公正と信義に委ねるという、近代国家としては有り得ない異常な国家の出現である。これによる国防意識の低落は、以後日本人の精神構造に取り返しのつかない空虚、瑕疵を生んでしまった。そして改造第二撃は、教育基本法による修身の科目と教育勅語の廃止から始まる教育改革により、日本人は二千年に及ぶ歴史のロジックを喪失した。現在の中高年から青少年に至るまで取り返しのつかない空虚が巣食っている。戦後の70余年もの期間、経済・社会・文化の展開の中にあって、日本人の精神の基底は空虚のなかに浮遊している。日本国憲法の国民の権利に偏重した個人主義の蔓延と共に、戦後日本人の精神はかつてとは過半も異にしている。GHQの大成果であるが、歴代政権がそれを追認してきたその長い怠慢の経過は異常だ。敗戦と現在の現実に立てば、GHQによる農地改革、労働組合政策等は、大日本帝国の社会の後進性を除去したと捉えても、前述の二つの精神の空虚は深い喪失感を孕んでいる。今取り返さねば取り返せないほど、既に時間は過ぎてしまっている。日本人自身の重い問題である。

 

 国家改造の最終撃は、施政権返還・独立と同時に締結された日米安保条約である。この条約下の日本の米軍基地は、世界史に類例を見ない陸海空軍の膨大なスケールである。冷戦時の最前線基地であったことを差し置いても、制空権を含め米軍による日本占領状況は、進駐占領時と本質的なところ変わりはない。当時の日本政権は、施政権返還のバーターに米軍基地の存続を強要されたのだろう。或は、疲弊した日本の経済、社会情勢から経済復興と社会安定を最優先に掲げ、自主防衛を度外視したのだろう。しかし今振り返れば、戦後の日本経済の驚異的な発展は冷戦構造の恩恵であったことは、冷戦後の日米構造協議による日本抑え込み政策と、そして前述した米中の政治・経済同盟の進展による世界経済の構造転換が日本の政策崩壊と、停滞の25年間をもたらしたことを見れば明らかだろう。あの時日本の政権には国家に禍根を残さない別の選択はあったのではないか。日本の国防をほぼ一方的、片務的に、無条件降伏を強いた超大国米国に依存するこの体制は、半世紀を超え65年にもの長期に続く、世界史にも類を見ない国家間の歪な条約である日米安保条約によってもたされている。植民地支配のための条約を除き、歴史には前例がない。であればこれはやはり双方にとって歪であろう。日本は米国の世界戦略の庇護の中に、その安寧を求め続けた。敗戦国の特権であるかのように。だがやり過ぎだ。

 

 この第一撃から第三撃の日本改造から戦後70余年の亘り、戦後日本人の精神風土を形成し維持してきたものは、GHQの7年間の占領期間に行われた思想統制である。この統制は三つのフィールドで行われた。一つがマスメディア界であり、二つが大学と教育界であり、三つが政界と財界と労働界である。マスメディア界では、戦前は率先した対米英戦争の推進論者であったが、被占領後、公職追放の犠牲者を出すとGHQに恭順を示し、GHQが繰り出す報道、出版コードをまたも率先して遵守した。日本政府の施政権の奪還後も、日本の全メディアは、通信社から新聞・出版、ラジオ・テレビまで、GHQコードを積極的に遵守し、宣伝し、驚くことに現在まで執拗に続けている。この業界をどのようなパワーが支配しているのかという憶測は差し控えるが、巨大な既得権益と化した業界の生存本能の為せる業なのであろう。大学と各学会は、メディア界と同じ構造で、GHQコードの遵守を永遠に続けるが如く、既得権益の中に巣くっている。教育界は、労働界と二人三脚で、GHQコードを全国津々浦々に蔓延させて行く。また政界、財界、労働界はスクラムを組んで、GHQコードの推進を図って行く。この三つのフィールドに共通するものがある。それは、GHQが最も恐れるもの、占領目的のターゲットである日本人の伝統的精神主義に対し、最も効力があり、対抗しうるイデオロギーであるマルクス・レーニン主義の積極的な許容と伝播である。このイデオロギーの大学・学会、メデイア界、政界、財界・労働界への伝播と浸透は、アメリカはいうに及ばず、イギリス、フランス、ドイツと比較しても、異質の極であり、戦後日本の特異な精神風土が読み取れる。このイデオロギーの浸透も、GHQの報道コード、学術コードのなせる業であり、また既得権益のなせる業である。この左翼思想は、労働運動と学生運動で一時過激化したが、現在は水面下に深く潜行している。ある時は政治的革新の、ある時はリベラル・自由主義の、ある時は人権主義の衣をかぶり、伝統的精神主義の価値観を喪失した二つの空虚に中に忍び込み、日本人の再統合の前に、防波堤の役割を続けてきた。そしてその水面の下に、尚も異様な憲法と安保条約が立ちはだかっている。日本人が何時か覚醒すべき問題である。

 

 この思想統制を強権発動したGHQの日本統治とは一体何であったのか。戦勝国が敗戦国に対し、何ら国際条約の根拠もなく、粗放な降伏文書によってのみ、どさくさの強権でもって、占領軍が被占領軍を解体し、統治権を奪取することは、東京大空襲をはじめ日本各都市への無差別空爆と、広島・長崎への原爆投下に見られるような非戦闘市民への米軍の殺戮と同じように、20世紀中盤の当時も、現代においても、如何なる国際法を以ってしても、許容されるものではない。特に、当時人口1億人の大日本帝国になされた7年間にも及ぶ統治の奪取とその国家改造は、近代の植民地主義においてもあり得なかったものであり、古代、中世の奴隷支配にも無かったものである。何の国際的な、また人道主義の制約のないまま、どさくさに行われたこの強権と成果は、連合国のイデオロギー支配が続く中、一度とて顧みられたことはないが、近い将来、歴史学、政治学の標本として、とりわけ重大な標本として顧みられ、歴史の断罪がなされるであろう。またこの米軍と占領軍の一連の大規模な蛮行は、人種差別主義者たちのなせる業であり、何時しか歴史の断罪がなされるであろう。この一連の自らの誤謬を隠蔽するため、東京裁判というキャンペーンがなされたのであり、また冷戦後には、特に余裕の為せる業か、仇敵であるである日本に対し、日本メディアをも総動員した、米、中、韓による、南京事変と戦時売春婦に関する日本貶めキャンペーンが営々と続くのである。大方の革新の誉れ高い保守たる日本人は、この困難な思想状況に組み込まれており、何重もの見えない敵に取り囲まれる中、強い意志を持ち、長期戦を覚悟で、わが子とそしてその子の為に闘わねばならない。

 

 しかし歴史は為されたのであり、作り変えることはできない。真の本質も現実のダイナミズムに前に掻き消されてしまう。将来の学問の対象に成り得るだけだ。GHQの7年に及ぶ占領支配に為された日本改造によって、蓋を開けてみれば、日本人は、そう易々とは打破できない、克服できない堅牢な壁に囲まれていた。三分の二以上の憲法改正の発議も、思想統制されたメディア界、教育界の堅牢な体制も、政界、官僚界、財界、労働界に対しても、利益交換という手法によって、幾重にも堅牢な壁が築かれていた。よって甚だしい無力感の中で、気づけば、現実にある世界を邁進するしか道はなかったのである。日本の特殊な思想状況には取りあえず蓋をし、経済大国に邁進したのである。戦後50年においてそれは大きな果実を得た。しかし果実を得る中で、戦後日本人は、戦後日本の壁が尚も戦勝国によってコントロールされていることを、見知らぬ振りをし、克服できないものと諦め、顧みることはなかった。見ればいい、戦後日本は、丸裸の状態であり、猛獣の前に差し出された裸婦そのものである。この構造を転換する可能性がない現実を前にして、無力感に苛まれたのも無理はなかった。このGHQによる日本改造は、このように巨大の痕跡を残したのである。マッカーサーという頑迷な人種差別主義者で、愛国主義者だけの軍人はさて置き、当時のGHQには、後に判明するが、ソ連コミンテルンのスパイを含む共産主義者の坩堝であったのである。些かの理想主義のため中途半端に終わったものもあるが、7年にも及ぶ数々の改造は、占領軍の当初の目的を、微塵なく達成した。将来の教材としては見事である。しかし感心ばかりしていられない。この停滞と不安の25年間の淵にいる現在の日本人は、わが子の将来の日本人に、如何なる国を残すかという義務がある。現在の日本人が、明治維新の指導者の輩を知るように、日清・日露戦争の指導者の輩を知るように、またその指導者の陰で、国のため命を投げ出した無数の草莽の輩の知るように、そしてまた、数百万人の戦没者を出した上に、占領軍による国体の解体をもたらした昭和の指導者の輩も知っている。わが子の、更にその子の将来の日本人が、現在の日本人を如何なる輩と知るだろうか、占領国の支配を受け続けることに甘受する輩を、機が熟しているにも拘らず躊躇する輩を。現代の日本人を単なる学者の標本だけにしてはならない。わが子の日本人のアイデンティティが懸っているのである。世界は再び大きく変わろうとしている。この機に、この25年間の停滞を克服するには革命が必要である。その革命は至ってシンプルである。独立国家になるだけである。しかし、世界の統治構造は複雑糢糊としている。世界の権力セクターも複雑怪かいである。高度な政治力学をもって進めねばならない。

 

 これにはその前に、敗戦と占領をもたらした昭和の指導者を徹底的に断罪する必要がある。彼ら即ち維新の第三世代を生んだ、日本の政治・社会構造と経済構造の分析を帰着させ、敗戦責任者を特定させる必要がある。この作業は、戦後50年の右肩上がりの時代は殆どなされなかった。為されたのは戦術論の敷衍であった。そして25年にも及ぶ停滞のなか、漸く鋭い論法によって本質が明らかになり始めた。ここで為され始めたのが、国家戦略論における昭和の指導者たちの誤謬の堆積への批判である。昭和の指導者たちの逸話の一つである、戦わずとも日本は滅びる。戦えば日本は滅びる。同じく滅びるなら、戦って滅びたほうが、後世の日本人のためになる。この逸話の後に来るものは、敗戦の戦術論の総括だけである。必要な総括の対象は、この逸話の前にあるもの、即ち国家戦略論の誤謬の堆積である。そして一見、昭和の指導者たちは集団指導体制のように見えるが、事実は異なるようだ、ヒットラーなり、スターリンを特定しなければならない。これを為さぬならば、何百万という英霊に何をどう申し開きをするのか。彼ら決して日本の解体を望んでいなかった。無駄死になったのだ。靖国の英霊の無駄死は、改造された日本社会のタブーであった。このタブーを克服するために、昭和の指導者を断罪しなければならない。同時に、彼らに権力を与えた昭和の政治構造と権力構造を世界との関係において把握しなければならない。失敗の本質を戦略論において把握しなければならない。日本人のDNAには、あれ程の失敗を犯す要因が存在するのだ。今後も同じ失敗を犯す可能性があるから、そのDNAを削除するために、そのDNAを見つけ出すのだ。昭和の指導者の敗戦責任を特定するのだ。現在の世界覇権構造は、第二次世界大戦前と同じく、複雑怪かいにして、利権は錯綜している。同じ間違いを犯し、わが子の世代に、あの塗炭の苦しみを決して与えてはならない。失敗の本質を踏まえ、戦略を研ぎ澄ますことだ。

 

 靖国は、このタブーという重いヴェールを日本にもたらした占領軍による日本改造を克服することによって、解放されるのだ。靖国の英霊は無駄死にではなくなるのだ。この解放された日本が何時か来たることを信じ、産業と社会の発展に身を投じると共に、草莽の一人ひとりが政治に関わり続けることだ。

 

 最後に本論に戻ろう。

 

 この異様な憲法と国防の米国依存をもたらす日米安保条約は、米国の世界戦略における強姦にも等しい対日基本政策であり続けたが、この長い期間を通して、当初のGHQの狙い通り、日本人の改造計画は深く潜行し、十分に成功した。米国軍人ペリーの浦賀到達以来、幕末から明治維新そして敗戦までの約一世紀と戦後の三・四半世紀の日本人とは、其の心情は大きく変容している。全く別の日本人である。欲目なしに、現在の日本人である私たち自身を見詰め直さねばならない。しかし戦前は遠い過去である。既にリアリティを喪失している。為らば、現実の歴史の上に立ち、現在の日本人を顧みるなら、あの第二次世界大戦における米国の日本進攻のような、人類の歴史上でも稀に見る壊滅的破壊を断行し、そして無条件降伏と国家改造を強要した、最後に伸し上がった西洋覇権国の米国に対し、隷属の三・四半世紀を伴に在りながらも、最後のアイデンティティを守るのなら、戦艦ミズリー上の降伏文書署名の前に立ち止まり、厚木飛行場の米軍機のタラップを降りるマッカーサーの前に立ち止まり、この屈辱の現場から、この三・四半世紀を振り返らなければならない。そして失われた過去への想像力を研がねばならない。

 

 現実の世界はパワー・ポリティクスである。其処にはパワー・権力がある。権力行使の現象的動態であるヘゲモニー・覇権がある。現在進行中の、現実の世界覇権構造に組み込まれて日本と日本人は存在している。そして短期、中期の国益を守る為に、その覇権構造の中に自らの覇権を築いている。しかし其処に将来の日本と日本人の国家像、日本人像の目標(志)の基本戦略がなければ国益の尺度がない。戦後の空虚な断絶のなかで、歴史を喪失した根無し草であっても、またロシア革命以後一世紀に亘り、未だに蔓延する左派右派のイデオロギーに蹂躙されて来ても、また壊滅的敗戦により劇的な国家改造を強いられた日本人であっても、そして国の防衛意識を喪失し変容した日本人であっても、然し、尚も目に見えない悠久の体制に見守られ続ける日本人は存在する。其の大方は革新の気風立つ保守である。伝統的精神主義の価値観と次なる可能性に挑む自由なる気概を持ち、そして偉大な歴史の継続と発展を願っている日本人なのだ。勿論、遠く将来の世代に亘るまで。

 

 この自由なる保守の日本人は実のとこの未だに迷っている。決断がつかないのだ。しかしもう既に気付いているはずだ、心底に巣食う心の空虚に。失われた価値が何であり、その影響が以後何をもたらしたか。それがどんなに貴重なものであったかを。日々分かっているはずだ。

 

 決断せねばならない。

 

 

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