One More Belief

 本当の敵が 何者であるかを 覚えておこう

World Politics         Supremacy Strategy 3 ウエスターン・インパクト

 

 

 

One Belief

 

 

 ウエスターン・インパクト、「なぜ西洋は勝利したのか」、戦後70数年を生きる私達が、今を逡巡し次代の選択を考えるとき、未だに帰るべき地点がここにある。何故か、近代日本の歴史がこのパワーによって決定付けられたからである。徳川幕府の19世紀中葉、清朝の阿片戦争(AD1840-42)敗北による衰退後、津波の如く米国、ロシア、英、仏が日本の収奪に駆けつけて来た。以後1世紀半の日本は、西洋に対する防衛、抵抗と挑戦の歴史であった。70数年前の対米英戦争・第2次世界大戦の敗北よる国家の体制崩壊という悲劇を経ても、また第2次世界大戦による世界覇権構造のパラダイム・シフトも経ても、現在も尚も同じ歴史、即ちウエスターン・インパクトの過程である。西洋に対する防衛、抵抗と挑戦の過程である。

 

 然らばこの「西洋」 ザ・ウエストとは何なのか。現代の西洋という概念を、地政学的に概念化し、また言語学・人類学的に、歴史学的に内実化した上で、現在の世界地図の上に一つの版図として示して見ると分かり易いだろう。抑々この西洋と言う地域概念は、近代の世界覇権構造の中で、近代日本において、世界支配を目指す覇権文明圏に対する日本語概念として生まれたものである。由って 「東洋」 ザ・イーストとは何なのかと問うなら答えに窮するだろう。近代日本では、「西洋」の対立概念である筈の「東洋」が、東アジア地域に特定した日本語概念に矮小化され、また曖昧化されて来たからだ。近代において世界支配を目指す西洋世界に対し、世界支配される東洋世界として、二極化されたファースト・カテゴリーにして来なかったのだ。なぜなら西洋世界は一文明圏であったが、東洋世界には幾つもの文明圏があったからであろう。

 

 然らば対立概念である「東洋」 ザ・イーストは、近代日本が東アジア地域に特定し矮小化した日本語概念ではなく、逆に遥か遡って、古代ローマ帝国時代のラテン語の東方世界の概念である「オリエント・陽が昇ぼる地」であると捉えよう。20世紀まで1500年間に及ぶ中世と近代を経て、独自に変遷して来た幾多の諸文明圏に中で、ローマ帝国の版図である「オクシデンタル・日が沈む地」から、ローマ帝国が拡大した版図の東方世界である、北アフリカと西アジア、南アジア、東アジアを包含した諸文明圏の一大地域概念として捉えるべきである。何故なら、この近代の「西洋」は、「オクシデンタル・太陽が沈む地」であるローマ帝国の文明圏が、1500年間の雌伏を経て、突如として飛躍的に拡大した文明圏であるからである。このローマ帝国の文明圏は、7世紀からのイスラム教文明圏の拡大、12世紀からのモンゴル帝国文明圏の拡大により、13世紀から14世紀には一時、ユーラシア大陸のヨーロッパ半島、則ち現在の欧州の西欧地域にまで縮小するに及んだが、16世紀から世界覇権構造のパラダイム・シフトにより、その後400年間を経て、19世紀末葉にはローマ帝国を継承する西洋文明圏が世界を征服するに至った。近代の覇権文明圏である「西洋」概念は、古代のローマ帝国、中世の神聖ローマ帝国と東ローマ帝国、近代の西ローマ各民族王朝とロシア東ローマ帝国へと続く、古代ローマ帝国から継承して来た文明圏の歴史総合として存在しているからだ。

 

 嘗て中世後期において、ユーラシア大陸のヨーロッパ半島というべき地域概念にまで縮小したローマ世界たる西洋世界が、16世紀の大航海革命以降、反攻の点鐘を鳴らし始める。凄まじい勢いであった。そして18世紀の産業革命以降に再度勃興し、19世紀に世界の征服に漕ぎ着けた。由って「西洋」とは、18世紀以降に近代文明を現出させ世界を支配した、ヨーロッパ白色人種の諸民族が複合した地域に収斂される。そしてその収斂の地から凄まじい膨張が始まり、現在の世界征服に至る。

 

 然らば、近代の世界覇権構造の到達点である、19世紀を突き抜けた20世紀初頭の第1次世界大戦前夜の世界地図において、その膨張した「西洋」の世界版図を示して見よう。この時代の「西洋」という地域概念は、先ずはヨーロッパ・欧州であり、それは西欧と東欧とロシアから成る。そしてシベリヤを征服した拡大ロシアと新大陸の北アメリカを征服した拡大西欧であるアメリカ・カナダと、そしてオセアニアを征服した拡大西欧であるオーストラリア・ニュージーランドという広大な地域を含まれる。即ち、近代文明を牽引した覇権民族の複合地域とその完全征服地である。そしてこの近代西洋が植民地にすべく侵攻したのが、この嘗て拡大した「東洋」であり、そしてもう一つが、「南洋」ザ・サウスというべきサハラ砂漠以南のアフリカと新大陸の中・南アメリカの広大な地域である。これが近代の世界3極の図式であり、西洋1極が他の世界2極を植民地として支配したのが近代であり、支配形態は変わったものの、その支配は21世紀の現代も尚も続いている。

 

 以上の結論を踏まえ、以下のことを補足しておこう。この近代の西洋世界は、宗教が著しく衰微したといえ、ローマ・カトリック、プロテスタント各派、ギリシャ正教と、全てはメジャーに、ローマ帝国末期に国教となったキリスト教の文明圏である。そして人種は、コーカソイドの白色人種の中の、19世紀以後の言語学の言うところのインド・ヨーロッパ語族の内、インド・アーリア人とイラン・アーリア人以外の、コーカサス以西に広がったギリシャ人、ラテン人、ケルト人、ゲルマン人、スラブ人、ノルマン人、バルト人等である。彼らは、旧約聖書によれば、ノアの三人に男子、セム、ハム、ヤペテの内、ヤペテの子孫にあたる。また、将来改廃が有り得る学説では、現代人類学がいうコーカソイドの対立区分がモンゴロイドとオーストロイドの黄色人種とネグロイド・黒色人種であり、そして現代言語学がいう、そのコーカソイド内のインド・ヨーロッパ語族の対立区分がコーカソイドのセム・ハム語族等となる。そして現代宗教学ではキリスト教文明圏の対立区分は、セム系アラブ人から興隆し他民族に広く浸透したイスラム教文明圏と、並びにインドに侵入したコーカソイド・アーリア人から興隆したバラモン教と、それを源流とする仏教とヒンズー教文明圏である。そして現在ボリュームとして痕跡は少ないが、各文明圏への深く浸透した、イラン・アーリア人から興隆したゾロアスター教と、それを源流とするマニ教の存在が見逃せない。それら政治主体にまで高揚し、国家の統合体となった宗教が現代に亘るまで絡み合い世界史を構成してきた。また古代ギリシャ哲学と同時代進行である、古代中国の儒教等諸子百家の展開は、世界史においては、世界を動かす宗教のカテゴリーではなく、哲学という時代精神として捉える。そしてここで決して捨象してはならぬことは、この人種・民族・宗教の三つの対立区分を跨ぎ、この近代西洋という覇権文明圏にも、キリスト教とイスラム教が源流とするユダヤ教を信仰する、マイナーであるがセム系語族系のであるユダヤ人と、インド・ヨーロッパ語族系ユダヤ人という、二つのユダヤ教徒が深く潜在していることである。この事が近代の世界覇権構造の必須項目の一つとなる。そして最後に、ウエスターン・インパクトを考えるに当たり、日本人は、自らの歴史の、縄文時代から営々と営まれ様式化された民俗信仰である日本神道の発展過程を、新たな学術成果を踏まえ、よく歴史過程を認識し、中国の民俗信仰モデルをも絡めて、日本文明圏のアイデンティティをこの論考でも再確認することにする。以上の事をここで補足しておこう。

 

 

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