One More Belief

 本当の敵が 何者であるかを 覚えておこう

World Politics        Supremacy Strategy 0 天皇のモーメント

 

 

 

One Belief 

 

 

 モーメント、それは、その瞬間の思考に及ぼす力、その人が意思と行動を決定する重要な機会、則ち行動の「契機」に及ぼす力の概念である。因って天皇のモーメントとは、その人が意思と行動を決定する機会に、天皇という観念・コンセプトが思考に及ぼす瞬時の力、則ち行動の「契機」に及ぼす瞬時の力のことである。

 

 

 私が生を受けたのは、昭和26年7月である。何時からかふと古に想いを巡らすことがある。幼少の頃の街並みを映す風景はまだ鮮明に覚えている。不思議と貧しさを感じない人情味ある風景だった。多くが長屋の町屋だ。駄菓子屋の背の低い小母さんの店には、西暦1950年代のカレンダーが掛り、格好いい数字がとても目立ち、私の気を引いた。店から続くカウンター奥の和室で、時おり3人の大きなお姉さんを見かけた。学生だったのかOLだったのかよく分からなかったが、よく笑みを私にくれた。でもその店の小父さんを一度も見たことがなかった。私の幼友達のお父さんは巡査だった。何回か制服姿を見たことがある。よくその家の2階で遊んでいたが、隣の部屋に綺麗なお姉さんを時おり見かけた。よく話し掛けてくれたが、とても大人っぽかった。お茶目な友達は「お父さんは違うよ」と言っていた。私にも10歳年上の姉がいる。とても可愛がってくれたが、私も姉と母親が違うと知ったのは随分と後のことだった。町内の地蔵盆や行楽で沢山の小父さんと小母さんを知ったが、私の父と母と同じように優しくて面白みのある人たちだった。私が物心付くまでのこの時代は、比べるものがない故に、満ち足りた世界だった。

 

 この頃まで私は何も知らなかった。嘗ての戦前の栄光と戦後の屈辱のドラマを。誰も口にする人はいなかったからだ。彼らはこの喪失感をどのように心の内に宿していたのだろうか。今もふと想いを巡らす。彼らの栄光の記憶と、そして敗北、荒廃の光景を。

 

 私が小学2、3年生の頃、勉強の楽しさを覚え、母との会話が変わろうとしている頃だった。世界地図か地球儀を一緒に見ていた時、母は「日本の領土はこんなに広かったのだよ」と言って、その版図を指で描いた。私には考えられない故に衝撃だったが、母の目が輝いていたのを覚えている。その頃から色んな情報が入って来て、私なりに知識と欲求を纏めていたのだろう、私はプラモデル作りの中にその衝撃の発露を求めていた。零戦、メッサシュミット。さらにその栄光をコミックとアニメにも求めて行った。しかし当時の彼の国の現実のジェットファイターを見た時、その落差は少年の目にも明らかだった。そして私の少年時代はSFの中にその衝撃の発露を求めて終わった。未来の翼に日の丸を求めていたのだ。また小学3、4年生頃の放課後、その日は梅雨の雨が大雨となっていた。校舎のホールには先生を囲んだ児童の輪が幾つもできていた。その中を男子たちが「ピカドン、ピカドン」と叫びながら燥いでいた。ソビエトの水爆実験だった。既に広島のことを知っていた少年の心は、とてつもなく得体の知れない巨大な力を感じ取っていた。やはり彼の国との現実の力の落差は、未来の何時か、日の丸が輝くジェットファイターの翼に夢を託すしかなかったのだ。この夢の中の栄光と現実の落差は、やはりある不明なコンプレックスを残し、何時しか少年を自己実現の葛藤の中、思春期の挫折と屈辱へと追いやっていた。

 

 この思春期は、幾重にも重なる新しい現実の中で、新しい夢想を追う、自己実現の夢を紡ぐものだった。しかしそれには挫折と屈辱が付きものだ。私は登下校の車窓の中で、また就寝前のベッドの中で、度々都市のスカイクレーパーを思い描いた。京都、東京の風景。歴史的建造物を囲う超現代的な街並を想像した。そして破壊しまた想像した。しかし繁栄の象徴であるスカイクレーパーは現実には私の目の前には存在しなかったのだ。彼の国との落差は思わぬばかりだった。また私は街を走るオートモービルの品定めに夢中だった。そして幾つものカーデザインを想像した。廃棄しまた想像した。しかし時おり街で出会う彼の国のオートモービルの存在感は圧倒的だった。繁栄の象徴であるオートモービルも、新しい現実となり、自己実現の欲求の中に、かの不明のコンプレックスをまた一重積み上げ、挫折と屈辱が付き纏った。そしてシネマからポップスに至るまで彼の国のものに対する、我が属する日の丸の意識を形作って行った。

 

 思春期も10代半ばを過ぎると、挫折感も屈辱感もさほど大きな負担もなく、心の中に整理できるものだ。しかしこの頃、全く新しい現実がお構いもなく襲ってきた。それは現実の闘争だった。「ベトナム闘争」「大学闘争」等、全く予期しない想像を超える新しい現実だった。また全くの挫折からの出発だった。それは、戦前の栄光はもう既に遠くに消え、戦後の基準が私なりにも明らかになった頃、日の丸という想像力が関与できないニュートラルな新しい世界だった。反戦と粉砕の怒号だけが木霊する世界だった。この新しい現実に随分打ちのめされていた時、突然彼の大国は撤退し戦争は終わったが、心の闘争は深く潜行して行った。私の混迷の世界は終らず、これからが大変だった。ニュートラルな戦後世界と内なる日の丸との相克、思春期を超えた青春は、このニュートラルな世界に対する思想の構築に追いやられた。求められたのは絶対的価値、ボーダレスの中の存在の思想である。そしてナショナリティ(国家観と民族意識)の中の日の丸の思想だった。存在思想は現代思想の潮流から容易に目処が着いたが、ナショナリティ・日の丸の思想は安易に流離うだけだった。

 

 青春期の20歳を向える頃、私はニュートラルな世界の中で、存在は自由であることを知った。そして日の丸は天皇であることが分かった。幾つもの書物を漁り自己論理化に努めた。しかしナショナリティの感性は歪んだ方向に向い、日の丸の色を変えて行った。赤から黒に、日の丸の思想・天皇との距離は空中に消え去り、思考停止の状態が随分と長く続いた。その頃現代美術の中で現象学を構築していたのだ。そして大学を出て暫くして、現代美術の延長として広告代理店を起業した。思考停止はそのままにビジネスという全く未知の現実に船出して行った。ある時、すでに起業して数年が経っていた、真夏のよく晴れた朝だった。新聞のヘッドラインに「トヨタ、GM提携」と黒に白抜きの活字が踊っていた。その頃トヨタのある最新モデルに私の目が焼き付いていたのだが、予期せぬニュースに体感としてあった戦後日本の勃興の証を感じ取っていた。かの不明なコンプレックスが一つの壁を乗り越えた瞬間だった。そして時を経て日本はG5の称号を得ることになる。戦後日本の勃興は自他共に現実のものとなり、一つの峠を越えたのだった。

 

 今から振り返れば、戦後日本の勃興が頂点を極める時に、国内外で相次ぎ二つの大きな出来事があった。「昭和天皇の崩御」と「ベルリンの壁崩壊」である。東西冷戦の終結が、戦後日本の繁栄を下降局面に至らしめたことは頗る皮肉なことだった。戦後日本の限界状況が次々と明らかとなり、正しく第二の敗戦である。共産圏の崩壊がもたらしたグローバルな世界の中に吸引され、幾多の問題が噴出したのだった。あの日の丸という想像力が関与できないニュートラルな戦後世界はもはや全く構造を変えてしまったのだ。そしてこの第二の戦後が訪れる前、戦後日本の絶頂期に昭和天皇は崩御なされた。私は戸惑った。この昭和が終わる時に何故か急遽立ち位置を明確にするよう迫られていた。日の丸は長い間空中を流離っていたからだ。その時私には、昭和天皇の苦渋の満ちた生涯とその尊厳な無言の死によって、日の丸の思想に結着を付け、ニュートラルな空白の世界を越えた。あの青年の日の丸はその色を輝く赤に変えて行った。私は、天皇は距離ではなく中心であり、観念ではなく行動の契機であることが理解できた。そして皇居に参賀し靖国の社を訪れた。キリスト或いはブッタの理念がどのように介在しても、自由とナショナリティの統合感が強く自覚できたのだ。

 

 この統合感は政治的主体の統合感である。もし自由の主体を階層分けするならば、政治的主体は最も高位な主体である。政治とは、自由な主体が、自己と他者と民族と国家との行動の契機を司る領域だ。それ以後私はビジネスに傾注し、多くの時間が過ぎ去ることになる。その間も戦争は絶え間なく続く。ベトナム戦争以後もどれだけ多くの戦争が世界中で繰り広げられたであろうか。2001.9.11の同時多発テロほど熾烈極まる記憶はない。常に新しい対抗軸が出現する。どのような超覇権国家であってもその国力において世界の過半を占めるには限界があるだろう。そこには必ず対抗軸が形成される。現在もテロ戦争を含んだ様々対抗軸が水面下で形成され、今にも火を噴こうとしている。いや既に火を噴いている。この厳然とした戦争の現実に政治的主体の想像力はどうあるべきなのか。その各政治的主体の連合を超える、自由とナショナリティの統合によって存在する国家はどうあるべきなのか。国家は各政治的主体の第一義のファクターである。

 

 かの不明のコンプレックスを抱きつつ育まれた少年の心に巣くう日の丸の想像力は、国家と民族への帰属意識からも、また現実に成長して行く少年の知覚世界からもごく自然なものである。その少年は思春期から青年へ向かう。思念の世界は広がり、存在の自由の中に自己の確立を図る。グローバルな世界においては、どの国家と民族の青年も、その自由の意識は同じ価値を求める。しかし国家と民族の意識であるナショナリティは日本には固有のものがある。イスラム圏、キリスト圏他、各々他国家と他民族にも固有のものがある。日本において固有のもの、それは天皇である。自己の自由と他者の自由と民族の自由を、ナショナリティと統合するもの、私たちにはその天皇が存在する。天皇は観念としてではなく、私たちの存在の自由の為の行動の契機の中に存在する。主体の自由は行動によってのみ存在するからだ。自己がナショナリティとして現れる行動の契機である。

 

 あの戦後の荒廃のなかで、栄光の喪失と例えない屈辱の現実の中で、自由な主体の敗北を克服させたものは何だったのか、そしてその時、自己、他者、民族、国家とを繋いでいたものは何だったのか、私にはそれが漸く理解できた。それは正しく天皇の存在だったのではないか。

 

 私たちは、少年たちに、自然な懐胎である日の丸の意識を大きく育まねばならない。そして思念に満ちた青年には、その自由な存在の、自己に対する、他者に対する、民族に対する、国家に対する統合の為の行動の契機たる天皇の存在を、強く意思を疎通させ、共に頒かち合えるよう努めねばなるまい。

 

 そして国家は、国民・民族の各個に、自由とナショナリティを統合する行動の契機たる天皇の威厳と慈しみを頒かち与え、そしてその天皇に対する敬愛に満ちた深い心情と強い意想の昂揚に努めねばならない。また国民・民族各個の政治的主体の背後に共有する、日本の悠久の歴史に綿々と積み上げられた、その伝統と文化の存在を鑑みなければならない。

 

 そして戦争に対して、私たちは国家と民族の自由と平和の為に、その準備を心得なければならない。戦わず勝利するために、常に対抗軸を超越する戦略を図らねばならない。そして自己と他者と民族と国家とを統合する、自由な主体の行動の契機たる天皇によって繋がられた精強な軍を準備しなければならない。そしてまたこの自己と他者と民族と国家とを統合する天皇の存在の言説を、青少年の教育の中に深く浸透させねばならない。

                                              

 また戦争に対して、私たちは民族の自由と威信の発揚の為に、その準備を心得なければならない。そして内外のメディアからの思想の攪乱に対し、各個人の主体の自由とナショナリティを統合する行動の契機たる天皇の存在を、自己に深く掘り下げ、日々思想の闘争を継続することを心得なければならない。そしてまたその自由とナショナリティを統合する天皇の存在の言説を、私たちの子弟に深い哀惜を込めて遺言して行かねばならない。

 

 

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